東大生のノートと聞くと、みなさんはどんなものを想像しますか?
きれいな字で、内容が整理され、カラーペンを効果的に使い分けていて、見ただけで「わかりやすい!」「後でまた見返したくなる!」と思えるようなノート。実際、SNSや勉強本などでは、そんな美しいノートが「東大生のノート」として紹介されることもあります。
でも――。
我が家の東大生(息子)のノートは、正直に言って、汚いです。いや、というより、そもそもノートをほとんど取っていない。プリント類も山のように平積みで、ファイリングすらされていません。部屋が散らかるから「せめてクリアファイルに入れてね」とお願いしても、それすらあまりやりません。
そして、字も…きたないんです。しかも、書き順がめちゃくちゃ。私はどうしても、「書き順が正しくないと恥ずかしい」と思ってしまうタイプなので、見ていてモヤモヤします。書き順って、字を丁寧に、バランスよく書くために必要ですよね。でも、息子に言わせると「書き順なんて意味がない」と。
中学受験でも、書き順を問われることはほとんどないようです。
驚くことに、息子の周りの東大生も、ノートがきれいな人は少ないのだそうです。字も汚い人が多いとか。
なぜでしょうか?
おそらく、「きれいに書く」こと自体に意味を見いだしていないのでしょう。「きれいに書くための時間」がもったいないと感じるのかもしれません。頭の回転が速すぎて、手が追いつかないとも言われています。「賢い人は字が汚い」なんて話も、聞いたことがあるかもしれません。
もちろん、これは一概には言えません。でも、字が汚い、ノートが整理できていないからといって、それを無理に矯正しようとすることは、彼らの持つ“合理性”を奪うことになる可能性もある、と私は思うようになりました。
私自身が看護師として働き始めた頃は、まだ紙カルテの時代でした。医師の書いた字が読めない、なんてことは日常茶飯事。「これは“右”と書いてあるのか?それとも“左”か?」と迷うこともあり、最悪の場合は医療事故につながる恐れも…。その結果、カルテには「みぎ」「ひだり」とひらがなで書くルールができたこともあります。
字は、自分が読むだけでなく、“誰かが読む”ことを意識して書く必要があります。
受験においても同じです。いくら正しいことを書いていても、読めなければ減点されることも。わずか1点が合否を分ける世界では、それは致命的です。
きれいに書くことが目的になる必要はありませんが、「読んでもらう」という視点は、忘れずにいたいですね。
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