東大の話はしないという選択
私は、息子が東京大学に通っていることを、自分から友人や知人に話すことはありません。たとえ東大に通っていることを知っている人でも、聞かれない限りは話題にしないようにしています。
なぜなら、その話題が相手にどう受け取られるかわからないからです。
たとえば、知人が「うちの子、東大に合格したんです」と言ってきたとき、みなさんはどう感じますか?
「すごいね!」と一緒に喜んでくれる方もいれば、「自慢?」と感じる方もいるかもしれません。特に、受験を控えたお子さんを持つ親御さんや、浪人生本人にとっては、プレッシャーに感じたり、自信を失うきっかけになることもあるでしょう。
そんなリスクがあるなら、「話さない」という選択が最も無難だと、私は考えています。
勉強ができることだけが素晴らしいわけではない
息子は、受験期に本当に努力を重ね、東大合格という夢をつかみました。それは母として、とても誇らしいことです。
けれど私は、「勉強ができることだけが素晴らしい」とは思っていません。
絵が得意な人、歌が上手な人、スポーツに秀でた人、それぞれの分野で努力して成果を出している人たちは、みな称賛されるべき存在です。ですがなぜか、「勉強」や「学歴」に関しては、素直に褒められない場面が多いように感じます。
職場にも、「勉強だけできてもな」とよく口にする人がいます。確かに、東大に入ったからといって、将来必ず成功できるとは限りません。勉強ができても、社会に出て仕事がうまくできない人もいるでしょう。
でも、それは単に「その人の能力が活かせる仕事にまだ出会えていない」だけではないでしょうか。
知性を活かして研究職に就けば、世の中を変える発見をするかもしれません。コミュニケーションが苦手でも、それを補って余りある知的貢献ができる人もいます。
それなのに、「東大のくせにこんなこともできないの?」という皮肉を言う人がいます。けれどそれは、比較する土俵が違うのではないでしょうか。
努力ができるひとは、それだけで価値がある
私は思います。
勉強ができる人は、何より「努力ができる人」です。
長期間、自分を律して学び続けた証であり、それだけでも十分に価値あることだと思うのです。
皮肉を口にする人を見ると、つい「その人自身が学歴コンプレックスを抱えているのでは…」と思ってしまいます。
スポーツや芸術など、他の分野で結果を出した人は大いに称えられます。なのに、学問の世界での努力や成果に対しては批判的な声が出やすい。なぜでしょう?
多くの人が「受験」を経験し、その中でうまくいかなかった記憶があるからこそ、学歴に対して複雑な感情を抱いている人が多いのかもしれません。
「東大に入ること」は、ゴールではなく、ひとつの通過点。
でもそこにたどり着くまでの努力は、誰がなんと言おうと、本当に価値あるものだと私は思います。
東大合格後、自己肯定感は下がる?



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